クラーケンとダイオウイカ——伝説の海の怪物は、いつ「標本」になり、なぜ日本人が初めて撮影できたのか
北欧の海の魔物クラーケンは、UMAが実在の生物になったほぼ唯一の例だ。本記事は1752年のポントピダンの記録から、1861年アレクトン号、1873年ニューファンドランドの標本、2004年に窪寺恒己博士らが小笠原沖900mで撮った世界初の写真、2012年の動画、2019年メキシコ湾の撮影までを追う。さらに2年で57個体が見つかった日本海の漂着の理由を、深層の冷たい水から読み解き、ほかのUMA研究への教訓を考える。
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はじめに——UMAが「実在」に変わった、ほぼ唯一の例
ネッシー、ビッグフット、ツチノコ。UMA(未確認生物)の話は、たいてい「結局見つからなかった」で終わる。だが一つだけ、船乗りの怪談から始まり、標本になり、写真になり、動画になり、ゲノムまで読まれた怪物がいる。北欧の海の魔物クラーケン、その正体とされるダイオウイカ(*Architeuthis dux*)だ。
そして、生きたダイオウイカを世界で初めて撮影したのは日本人研究者だった。2004年9月30日、東京から約1000km南の小笠原沖、水深900m。
本記事は、クラーケンが「伝説」から「生物」になるまでの約250年を順に追う。そのうえで、この成功例がほかのUMA研究に何を教えるのかを、編集部の視点で考える。

第1章:島ほどの怪物——1752年のクラーケン
クラーケンを広く知らしめたのは、ノルウェー・ベルゲンの司教エーリク・ポントピダンだ。1752年の著書『ノルウェー博物誌』で、彼は漁師たちの話をもとにこの怪物を書き留めた。
その姿は、ほとんど地形である。海面に浮かぶ背中は差し渡し約2.5km、小島と見間違えるほどの大きさで、そばにいると船が渦に巻き込まれる。一方で、クラーケンの上には魚がよく集まるので、漁師は良い漁場として利用した——という、妙に現実的な話も含まれていた。
ここで押さえておきたいのは、ポントピダンが作り話を書いたわけではないということだ。彼は聞いた証言を集め、博物学の本に載せた。問題は、証言そのものが「大きく、恐ろしく」なる方向に偏っていたことにある。この偏りは、のちに見るように今も消えていない。
第2章:伝説が「部品」になる——1861年と1873年
19世紀、クラーケンは少しずつ実物の断片として現れ始める。
1861年11月30日、フランス海軍の砲艦アレクトン号が、カナリア諸島テネリフェ島の近くで巨大なイカに遭遇した。乗組員は銛を打ち込み、ロープをかけて引き上げようとしたが、胴体はちぎれ、船に残ったのは尾の部分だけだった。推定される全長は約7.5m。この出来事は報告書と挿絵で広まり、ジュール・ヴェルヌ『海底二万里』(1870年)の大ダコ場面にも影響を与えたとされる。
決定打は1873年のカナダ・ニューファンドランドだ。この年、現地の漁師がイカの長い腕を切り取って持ち帰り、12月にはローギー湾でほぼ完全な1体が網にかかった。受け取ったのは牧師でアマチュア博物学者のモーゼス・ハーヴェイ。彼は死骸を自宅の浴槽の上に垂らして写真を撮り、記録を残した。
ここで怪物は「標本」になった。 クラーケンが実在の動物を下敷きにしていた可能性が、初めて具体的な物で示されたのである。
第3章:なぜ130年間、生きた姿が撮れなかったのか
ところが、標本が手に入ってからも、生きて泳ぐダイオウイカは長く誰にも見られなかった。死骸や、マッコウクジラの胃から出てくるくちばし(顎板)は大量に見つかっていたのに、である。
理由は大きく三つある。
- 深すぎる:生息域は水深650〜1000mの中層。光がほぼ届かず、潜水艇でも広い範囲は探せない
- 光を嫌う:潜水艇の強いライトは、目の良い深海生物を遠ざけてしまう
- 数が読めない:どこに多いのか、そもそも分布がわからない
| 年 | 出来事 | 得られたもの |
|---|---|---|
| 1752年 | ポントピダン『ノルウェー博物誌』 | 証言(大きさ約2.5km) |
| 1861年 | アレクトン号の遭遇 | 体の一部・挿絵 |
| 1873年 | ニューファンドランドの捕獲 | ほぼ完全な標本・写真 |
| 2004年 | 窪寺恒己・森恭一(小笠原) | 生きた姿の静止画 |
| 2012年 | NHK・ディスカバリー共同調査 | 潜水艇からの動画 |
| 2013年 | 世界43個体のミトコンドリアDNA解析 | 「世界で1種」の結論 |
| 2019年 | メキシコ湾で撮影 | 米国海域で初の動画 |
| 2020年 | 全ゲノム解読 | 約27億塩基対 |
第4章:2004年9月30日、小笠原沖・水深900m
突破口を開いたのは、国立科学博物館の窪寺恒己博士と、小笠原ホエールウォッチング協会の森恭一氏だった。
二人が目を付けたのは、ダイオウイカを食べるマッコウクジラだ。小笠原の近海では、マッコウクジラが決まった季節に決まった深さへ潜っている。その深さに餌がいる、つまりダイオウイカがいるはずだ、と考えた。
仕掛けは素朴である。釣り糸にイカやエビの餌を付け、デジタルカメラ・タイマー・ストロボ・深度計を一緒に吊るす。一定の深さに達すると撮影が始まり、一定間隔でシャッターが切られる。3年がかりで何度も仕掛けを沈めた末、2004年9月30日、水深900mで餌に食いつくダイオウイカが写った。
撮影された個体は推定全長約8m。長い触腕を餌に絡めたまま数時間もがき、最後は触腕が1本ちぎれて逃げた。引き上げられたその触腕は約5.5mあった。成果は2005年、英国王立協会の学術誌に「野生の生きたダイオウイカの初観察」として発表された。
注目したいのは、成功の理由が高価な機材ではなく、生態の読みだった点だ。怪物を探すのをやめ、怪物を食べる動物の行動を手がかりにしたことで、深海の点が絞り込めたのである。
第5章:静止画から動画へ——2012年と2019年
次の壁は動画だった。2012年6〜7月、NHKと米ディスカバリーチャンネルは小笠原で大規模な共同調査を行った。窪寺博士に加え、深海の発光生物の専門家エディス・ウィダー博士らが参加した。
ここで効いたのが、ウィダー博士の考えた二つの工夫だ。
- 赤い光:多くの深海生物には見えにくい波長の光で照らし、相手に気づかれずに撮る
- 光るおとり(e-jelly):襲われたクラゲが出す青い発光をまねて、「獲物を狙う大型の捕食者」を呼び寄せる
2012年7月、有人潜水艇が水深630〜900m付近で、泳ぐダイオウイカを約23分間撮影した。映像は2013年1月のNHKスペシャルで放送され、視聴率16.8%を記録した。
2019年6月には、ウィダー博士らがメキシコ湾(ニューオーリンズ南東)で同じ仕組みの無人カメラ「メデューサ」を使い、全長3〜3.7mほどの若い個体を撮影した。米国の海で初めての映像である。仕組みが再現できる=方法が正しかった、という点で、この2例目は1例目と同じくらい重要だ。
第6章:日本海の漂着——なぜ「住んでいない海」に上がるのか
日本では、ダイオウイカは日本海の浜でも見つかる。特に2014年から2015年にかけては漂着や定置網での発見が相次ぎ、2年間で57個体が確認された。2014年1月には富山県氷見漁港で水揚げされ、新潟・佐渡沖では網の中を泳ぐ姿も見つかった。
だが、ここには不思議がある。日本海の水深約300mより深い場所は、水温0〜1℃ほどの冷たい水(日本海固有水)で満たされている。ダイオウイカが好む5〜11℃の層は、日本海ではほとんど存在しない。
編集部が各種の解説を突き合わせた限り、最も筋が通る説明は次の流れだ。
1. ダイオウイカは対馬暖流に乗って、南の海から日本海へ入ってくる
2. 日本海では深く潜れない(深い層が冷たすぎる)ため、浅い層にとどまる
3. 冬になると表面の海水も冷え、行き場を失って弱る
4. 季節風に押されて、浜や網に打ち上げられる
つまり日本海の漂着は、「近くに群れがいる」証拠ではなく、迷い込んだ個体が弱った結果である可能性が高い。数が急に増えた年は、深海の個体数が増えたというより、海流や水温の条件がそろった年と見るほうが自然だ。
第7章:編集部の分析——本物の怪物が教える3つのこと
1. 実在しても、大きさは盛られる
伝説のクラーケンは2.5km。実物の記録は、しっかり測られた標本で最大約13m(そのほとんどは長い触腕)、胴体は2m余りにとどまる。20mを超える可能性を論じた研究者もいるが、確かな計測例はない。「怪物は実在した」と「伝説どおりの怪物だった」は、まったく別の話なのだ。ほかのUMAの目撃談で語られる大きさも、同じ割り引きで読む必要がある。
2. 「見つからない」には理由がある
ダイオウイカは、1873年に標本があったのに、生きた姿の撮影まで130年以上かかった。「撮れない=いない」ではなかった。ただし、ダイオウイカには最初から死骸・くちばし・クジラの傷跡という物証があった。見つからない期間が長くても、物証が積み上がっていく対象は、いずれ捕まる。逆に、目撃談だけが増えて物証が一つも増えない対象は、いくら時間をかけても状況が変わらない。これがダイオウイカと、多くの陸のUMAとの決定的な違いだ。
3. 探す方法を変えると、答えが出る
窪寺博士はクジラの潜水を、ウィダー博士は深海生物の目と光を読んだ。どちらも「怪物を探す」のではなく、その生き物が生きていくための条件から場所と方法を割り出した。2013年のDNA研究で、かつて20種以上に分けられていたダイオウイカが世界で1種とされたのも、同じ流れにある。見た目の違いの印象ではなく、測れるもので判断したのだ。
結論——クラーケンは「いた」。ただし、人間の話の中より小さく
クラーケンの伝説には、実在の動物という芯があった。そこに、恐怖と伝聞が大きさを何百倍にも盛った。19世紀の標本が芯を取り出し、21世紀の日本の研究者が、その芯が暗い深海で生きて動く姿を初めて写した。
この話は、UMAを信じる人にも疑う人にも同じことを言っている。物証を積み、生態から探せば、深海の怪物でさえ写真に撮れる。 そして、そうしてたどり着いた本物は、伝説よりもずっと小さく、ずっと面白い。
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